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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)4605号 判決

原告

日本共産党大阪府委員会

右代表者

緋出吉郎

原告

植田耕治

右両名訴訟代理人

宇賀神直

ほか三五名

被告

大阪市

右代表者

大島靖

右訴訟代理人

俵正市

外三名

主文

被告は、原告日本共産党大阪府委員会に対し金二〇〇、四二〇円、原告植田耕治に対し金五〇、〇〇〇円、および右各金員に対する昭和四四年九月一〇日から完済まで年五分の金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  申立

一、原告ら

「被告は、原告日本共産党大阪府委員会(以下原告委員会という)に対し金二五六、三二〇円、原告植田耕治に対し金三〇〇、〇〇〇円、および右各金員に関する昭和四四年九月一〇日から完済まで年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二、被告

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

第二  主張

一、原告らの請求原因

1  公会堂使用許可とその取消

原告委員会は、昭和四四年七月二一日午後六時から大阪市公会堂(以下単に公会堂という)において「共産党議員の懲罰反対、大阪市会と議会制民主主義を守る決起集会」を開催することを企画し、同月一五日原告委員会の選挙対策部副部長であつた原告植田が右集会の責任者として、大阪市教育委員会(以下市教委と略称する)に対し公会堂の使用許可を申請し、即日使用許可を受けた。

ところが市教委は同月一九日付内容証明郵便をもつて原告植田に対し、「その後判明した事実によると、集会の内容がわが国現下の緊急重要な課題である部落解放に支障を来たすおそれがあると認められる」との理由で、公会堂条例四条二号にもとづき右使用許可を取消す処分をなし、これは翌二〇日午後原告植田に到達した。

2  集会開催の目的と公会堂使用許可申請に至る経緯

(一) 昭和四四年三月、大阪市教職員組合(以下市教組と略称する)東南支部役員選挙に立候補したAが、立候補の挨拶状の中で、教師の労働条件の実態と改善を訴えた文言について、部落解放同盟大阪府連合会(以下解同府連または単に解同と略称する)の幹部は、これが差別文書であるといいがかりをつけ、AおよびAを推薦した一〇名の教師を差別者として、これに対し暴力的な糾弾を行なつた。

(二) 解同の圧力を受けた市教委は、六月中旬に至り特別研修と称してAほか二名の教師を右糾弾の行なわれた矢田市民館に行かせて、公開の席でAの挨拶状が差別文書であることを認めさせようとした。

また七月初めに被告が発行した「大阪市政だより」の「同和問題特集」の記事は、前記一一名の教師の名誉を毀損する内容を含むきわめて不当なものであつた。

(三) このように解同府連の一部の幹部が暴力的に教育に介入し、これに対する市教委の態度は全く厳正を欠いていたため、日本共産党大阪市議団は早くから市議会の内外において議員としての職責にもとづき調査を行ない、被告の行政責任を追及したところ、解同府連の一部幹部らは、共産党のかかる活動が差別を助長するものであるなどといわれのない非難を加え、六月二一日付で大阪市議会議長に対し共産党議員の処分を求める要請書を提出し、七月二二日には議長がこれに対する市議会の態度を表明することを迫られるという切迫した状況となつた。

(四) ちなみに、七月七日八尾市議会は、解同の圧力により、六月二八日の同議会本会議における日本共産党のS議員の代表質問が差別発言であるという理由で、同議員を除名処分にするという暴挙を行なつていた。解同は大阪市議会に対しても、この「八尾方式」により共産党議員七名を除名するよう迫つていたのである。

(五) 原告委員会は、共産党議員に加えられようとしてママかかる暴挙を阻止し、議会制民主主義を擁護することを目的として、本件集会を開催しようとしたものである。

3  本件取消処分の違法性

(一) 憲法二一条違反

原告委員会が開催しようとした本件集会は、前項で述べたような目的をもつて企画された、政治的意思表明のための政治集会であり、憲法二一条によりその自由が保障されるべきものである。したがつて市教委は憲法の精神にのつとり、本件のような政治集会に対しては積極的かつ自由に公会堂の使用を許すべきであつた。しかるに市教委は集会をつぶそうとする解同の不法な要求に屈し、「集会の内容が部落解放に支障を来たすおそれがある」などと称して、集会の内容そのものにまで介入し、かつこれをゆがめて把握し、もつて公会堂使用許可を取消し、集会開催を阻止しようとしたのである。このような解同の圧力により、しかも政治的集会の内容自体を理由として、公会堂の使用を許さないということは、憲法の保障する集会の自由、表現の自由を踏みにじるものである。

(二) 地方自治法二四四条二項違反

公会堂は住民の諸種の集会に使用される「公の施設」(地方自治法二四四条)であり、憲法における集会、言論、表現の自由の保障の精神からいつても、市教委は特別重大な合理的理由のないかぎり、住民に対し公会堂の使用を拒むことは許されない。しかるに市教委は、集会の内容が不当であるなどというきわめて不当な理由をもうけて本件取消処分をしたのであるから、地方自治法二四四条二項に違反する。

(三) 公会堂条例(昭和二六年大阪市条例第七三号)四条二号は、公安または風俗を害するとか、建物を破損するとか、管理上支障がある場合などには、公会堂の使用許可を取消しうると定めている。しかし市教委は本件取消処分において、その取消理由が具体的に右のどの場合にあたるのかを明示していない。このような取消処分は、それ自体理由を示さない処分として違法である。

のみならず、原告委員会の主催する集会が公安や風俗を害したり、建物を破壊したりして、管理上支障を来たすようなおそれは絶対にない。このことは、公会堂における党主催の大衆集会が従来多数回にわたり平穏に行なわれてきた事実はもとより、本件取消処分の執行停止決定(大阪地方裁判所昭和四四年(行ク)一八号)ののち、本件集会が平穏に何の支障もなく実施された事実に照らしても明らかである。したがつて本件取消処分は公会堂条例にも違反する。

4  被告の責任

市教委は原告委員会を敵視する解同の不法な要求に屈し、何らの合理的理由もないことを十分に知りながら、あえて本件取消処分をすることにより、原告委員会の正当な政治集会の開催を妨害阻止し、政治的活動を侵害抑圧しようとしたものである。

よつて被告は国家賠償法一条一項にもとづき、市教委の右違法行為により原告らが蒙つたすべての損害を賠償する責任がある。

5  損害

(一) 原告委員会の損害

(1) 弁護士費用等

原告委員会は七月二〇日市教委の不法な取消処分に対処するため、原告植田の名前において、弁護士五名に行政訴訟の提起およびこれに伴う執行停止の申立を委任し、同弁護士らは大阪市北区の梅ケ枝旅館において夜を徹してこの作業にとりくみ、翌日は訴状および執行停止申立書の提出にはじまり、地裁の執行停止決定、市教委の即時抗告、高裁の抗告棄却決定に至るまで、終日これに応待せざるをえなかつた。原告委員会は右弁護士五名の弁護士費用一五万円および宿泊旅館代五万円を支出した。

(2) 宣伝資料印刷作成費

原告委員会は公会堂使用許可取消処分の不当性を広く一般市民に訴え、その支持を求めるため、急拠ビラ一一万枚を印刷作成して、七月二一日午前各駅頭などで市民に配付したが、これは本件のような事態のもとにおいては必要不可欠な宣伝活動であり、その経費として金五五、九〇〇円を要した。

(3) 電話料

原告委員会は訴の提起や執行停止申立の作業に関する各種の連絡、関係組織や団体に対する事態の説明と、万一の場合の会場変更に関する連絡などのため、電話を約六〇回使用し、この費用として四二〇円を要した。

(二) 原告植田の損害

原告植田は原告委員会の選挙対策部副部長として本件集会開催の直接の担当責任者の立場にあり、本件取消処分の結果、これに対して前項で述べたような対応措置をとることを余儀なくされ、事態の重大性から極度の緊張と責任感のため、多大の精神的苦痛を蒙つた。原告植田は原告委員会の一機関として行動したものであるが、そのような機関の任務を担当する個人としての精神的苦痛については、独立の慰藉料請求権を有するものであり、その額は三〇万円を下らない。

6  よつて被告に対し、原告委員会は5(一)の計金二五六、三二〇円、原告植田は5(二)の金三〇万円、および右各金員に対する昭和四四年九月一〇日(訴状送達日の翌日)以降の遅延損害金の支払を求める。

二、被告の答弁

1  認否

(一) 請求原因1の事実中、原告植田の地位については不知、その余の事実は認める。

(二) 本件取消処分までの経過は次項に詳述するとおりであり、請求原因2中これに反する部分は争う。

(三) 請求原因3ないし5は争う。

2  本件取消処分までの経過

(一) 解同府連矢田支部は、昭和四四年三月市教組東南支部役員選挙に立候補したAの挨拶状が、教師の労働条件悪化の原因として同和教育を引き合いに出し、差別の現存する日本の現状下で教師の日常要求と同和問題とを対立させる方向にあることを指摘し、右挨拶状を差別文書であるとして、AおよびAを推薦した者に対し自己批判を要求し、糾弾を行なつた。

市教組も右挨拶状が差別文書であることを承認し、解同の糾弾を支持した。

市教委は、同和教育推進の立場から右差別問題を無視することができないので、解同府連、市教組、Aおよびその推薦者らの間において同和教育について話し合いを続けることに努力するとともに、問題の重要性にかんがみ、五月九日および六月七日付で各校園長に宛て「同和教育の推進について」と題する教育長通達を発したほか、六月の「大阪市政だより」では同和問題を特集し、右差別問題の解説を行ない、またAほか関係二教諭に対し、同和問題を正しく理解させるため、職務命令をもつて六月一八日午前九時三〇分から午後二時まで矢田市民館での特別研修を命じた。

(二) 原告委員会は解同、市教組の行動や市教委の措置に強く反発して、Aらを支持する活動を展開し、市教委の職務命令を不法不当ときめつけ、大阪市議会の日本共産党議員団は市教委に対し、右職務命令の撤回と、矢田市民館やその行き帰りにおける三教諭の身体の安全および行動の自由についての確約を求めた。これに対して解同は、市議会議長宛の六月二一日付要請書をもつて、共産党議員団のかかる言動は解同を暴力集団視し差別を助長拡大するものであるから、市議会を開会して六月二四日までにこの問題の処理について文書で回答するよう要請した。

(三) こうした解同と原告委員会の対立のさなかに、七月一五日原告委員会から公会堂の使用許可申請があり、その許可がなされたが、同月一五日付と一七日付の原告委員会の機関紙「大阪民主新報」および同月一八日付の日本共産党中央機関紙「赤旗」は、執拗に解同に対する攻撃をくりかえし、市民に集会参加をよびかけた。

市教委は、原告委員会がAの挨拶状を差別文書でないとする誤つた理解に立つて解同を攻撃し、解同と暴力との結びつきを強調するのは、差別偏見に満ちた発言で、市民の認識を誤らせ、差別感情をあおるものであり、かような情勢下で行なわれる原告委員会主催の本件集会は、同和教育、部落解放に対してきわめて重大な否定的影響を与え、差別の助長拡大を導くものと判断し、公会堂使用許可を取消したのである。

3  本件取消処分の適法性

(一) 本件取消処分は憲法一四条、二六条、一三条の精神に合致するものである。

同和地区住民の不合理な差別からの解放とその目的達成のための同和教育の推進は、国をあげての急務であり、国および地方公共団体は、昭和四〇年八月の同和対策審議会答申および昭和四四年七月一〇日施行の同和対策事業特別措置法により課された行政責任を果たすとともに、部落解放、同和教育に否定的影響のある運動に対してはこれを排除する責務がある。憲法二一条による集会、言論の自由も無制限に保護されるものではない。いかなる政治的集会であつても、他の重大な法益を侵害する可能性が大であり、その危険性が明白であれば、比較衡量のうえ、より重大な法益を守るため、集会、言論の自由も制限することができる。

原告委員会の本件集会は、共産党議員の議席を守るための政治的集会であるとはいえ、市民をして解同に対する不当な予断偏見を抱かせ、差別を温存助長し、部落解放運動、同和教育の推進という重大な目的を害する明白な危険があつたのであり、本件取消処分は憲法二一条に違反するものではない。

(二) 本件取消処分は地方自治法二四四条二項および公会堂条例の定める要件に適合し、違法はない。

公会堂は、地方自治法二四四条一項に定める、住民の福祉を増進するための「公の施設」であるが、原告委員会はAの挨拶状を差別文書と認めず、同和地区住民に対する差別を肯定するものであり、このような団体が公の施設で大衆に対し差別支持の態度を表明することは、住民福祉の増進という公の施設の設置目的に反する。本件取消処分は右のような正当な理由にもとづくものである。さらに本件集会が開催された場合、集会に参集する市民と解同とが不測の事態を引きおこすおそれもあり、公会堂の管理、市民の身体の安全の点をも考慮した。

取消を通知した書面には「部落解放に支障を来たすおそれがあると認められる」として、公会堂条例四条二号にもとづくことを明示している。右条文は「二条但書に該当する事由が発生したとき」を取消理由に挙げているが、本件取消処分が二条但書四号の「その他教育委員会が必要と認めるとき」にあたるとしてなされたものであることは、右書面に記載した理由から明らかである。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因1の事実(公会堂使用許可とその取消)は、原告植田の地位の点を除き当事者間に争いがない。

二いわゆる矢田事件から公会堂使用許可取消までの経過

本件取消処分の背景をなす事実関係は、昭和四四年三月のいわゆる矢田事件にまでさかのぼる。

〈証拠〉を総合して認められる、矢田事件にはじまる一連の事実関係を、日を追つて摘記すると、つぎのとおりである。

1  昭和四四年三月一三日の市教組東南支部役員改選にあたり書記次長に立候補した阪南中学分会のAは、立候補の挨拶を印刷したはがき(乙第三号証)を組合員に配布し、同人を推薦するB、Cら一三名は、推薦状を同様に配布した。Aの挨拶状は、労働時間は守られているか、職場でのしめつけはないかを問いかけ、所信を表明して支援を求める趣旨のものであつたが、その中に、「進学のことや、同和のことなどで、どうしても遅くなること、教育こん談会などで遅くなることはあきらめなければならないのでしようか。」「越境・補習・同和など、どれをとりあげてもきわめて大事なことですが、それに名をかりて転勤・過員の問題や、特設訪問や、研究会や、授業でのしめつけがみられて職場はますます苦しくなります。」といつた表現があつた。この内容を知つた解同府連矢田支部は、右挨拶状が教師の労働条件悪化の原因として「同和のこと」をあげているのは、同和教育の推進に水をさし、部落差別を温存助長する差別思想の表れであるとして、同月一八日矢田市民館において、挨拶状および推薦状の関係者一四名のうち、A、B、Dの三名に「差別者A一派を糾弾する」と題する文書を示し、右三名に対して、挨拶状が差別文書であることを認めてこれを回収し自己批判書を書くことを要求し、他の推薦人とともに同月二四日午後五時から解同の糾弾を受けることを約束させた。

これがいわゆる矢田事件の発端である。

2  市教組は三月二四日「部落解放同盟矢田支部の糾弾についての市教組執行委員会の責任と方針」を文書にとりまとめ、解同の糾弾を全面的に正しいものとして承認した。しかし同日の解同の糾弾集会には、Dを除く他の関係者一三名は欠席したので、市教組は同人らに対する説得活動を始めた。

四月二日には矢田中分会長Eが、矢田中学校で差別文書を配付したとの理由で、新たに糾弾の対象に加えられた。

こうした動きの間に、Dら四名が自己批判書を書いたが、A、E、B、Cら一一名はあくまでもこれを拒み、解同との話し合いの場に出席しなかつた。

3  これに憤激した解同府連矢田支部は、四月九日午前矢田中学校からEとBを、同日午後加美中学校からCをそれぞれ連れ出し、矢田市民館において深夜まで長時間にわたり糾弾を行なつたうえ、翌一〇日市教委に対しA、E、B、Cの処分を要求した。これに対してE、B、Cの三名は同月一九日解同府連の甲、乙、丙、丁の四名を逮捕監禁罪と強要未遂罪で告訴した(その後丙と丁の両名は起訴されている)。

4  一方、原告委員会はAらを支持する態度を明らかにし、日本共産党大阪市議会議員団は四月九日夜市教委の柏原教育長に面談して、解同の糾弾についての市教委の見解をただし、その行政責任を追及した。解同府連は同月二二日原告委員会に対し、部落差別についての見解を問う申入れ書を差出し、同月二五日原告委員会はこれに対し文書をもつて回答し、解同と原告委員会との対立の様相が顕著となつてきた。

5  五月二日には、解同府連矢田支部の幹部が矢田中学校において生徒の面前でCを糾弾する出来事もおこり、事態は一そう深刻化した。

6  矢田事件の当初から成り行きを重視し、矢田市民館での糾弾の場にも職員を立合わせるなどしていた市教委は、前記挨拶状を差別文書とする立場から、五月九日付と六月七日付の二回にわたり、教育長名で各校園長に宛て「同和教育の推進について」と題する通達を発するとともに、被告の広報紙「大阪市政だより」の六月号を同和問題特集とし、矢田事件の解説を中心として、同和問題への理解と協力を求める記事を掲載し、広く配布した。さらに市教委はA、E、Bの三名に対し、同和問題を正しく理解させるためとして、職務命令をもつて六月一八日午前九時三〇分から午後二時まで矢田市民館で特別研修を行なう旨を告知した。

これに対して原告委員会は、右特別研修が四月九日になされた糾弾と同じ場所で、しかもそのときの行為について告訴されている者をも参加させて行なわれようとしていることを問題とし、一七日午後六時頃から翌朝にかけて共産党市議団が市教委に対し、職務命令で研修をさせる根拠は何か、会場およびその往復の路上での身体の安全や行動の自由について特別の対策をとつているかなどをきびしく追及した。そしてこのことを六月一九日付の原告委員会の機関紙大阪民主新報で詳しく報道した。

7  右報道に接して、解同府連は六月二一日戍委員長名で大阪市議会議長宛に要請書(乙第一一号証)を提出し、共産党市議団が市教委に対し三名の教師の身体の安全、行動の自由について確約を迫つたことは、解同を暴力団視し、暴力行為のおこるのが当然であるかのようにひぼうするもので、差別を助長し、基本的人権にかかわる問題であるから、「すみやかに市議会を開会し、六月二四日までに文書をもつてこの緊急かつ重要な問題の処理について回答」するよう要請した。

解同の提起した問題の処理をめぐつて、六月末頃大阪市議会委員会室で、共産党を除く四党の各市議団代表者と解同府連の幹部とが会談し、七月五日にも国際ホテルで同様の会談が行なわれた。さらに七月一二日解同は、同日招集された臨時市議会に同盟員約二〇〇名を動員して気勢をあげ、市議会第六委員会室で解同府連執行委員会を開き、共産党議員対策を協議した。

8  この間七月七日八尾市議会において、共産党議員のSが、六月二八日の同市議会本会議の代表質問で差別発言をしたとの理由で除名されるという事態がおこつていた。

9  原告委員会は解同府連のこうした動きに危機感を深め、解同の圧力により共産党議員が八尾市議会におけると同様に除名されるおそれが強いとの情勢判断から、共産党議員の議席を守り議会制民主主義を擁護するため、大衆集会により広く市民に訴え、解同に抗議することとし、七月一五日原告委員会の選挙対策部副部長である原告植田を責任者として公会堂使用許可を得た。そして一五日付の大阪民主新報号外(甲第二号証の二)、一七日付の大阪民主新報およびビラ(甲第二号証の三、七)、一八日付の赤旗(乙第一二号証)により、解同の行動を理不尽な暴力脅迫によるファッショ的暴挙ときびしく攻撃し、市民の支援を求めた。

10  市教委は、公会堂使用許可後における原告委員会の右のような宣伝活動により、原告委員会と解同との対立が一そう尖鋭化してきたことを憂慮し、原告委員会が挨拶状の差別性を認めず、解同の暴力のみを一方的に強調し、これを集会の主題とすることは、解同ないし同和地区住民に対する市民の理解と認識を誤らせ、予断偏見を植えつけ、一そうの差別感情をあおり、わが国現下の緊急重要な課題である部落解放、同和教育に否定的影響を与えるものと判断し、さらに集会が開催された場合におこりうべき不測の事態をもあわせ考慮して、公会堂使用許可を取消すに至つた。

三本件取消処分の違法性

1 右に認定した事実によれば、原告委員会の本件集会は、矢田事件をめぐる対立を契機として解同の圧力に危機感を強めた原告委員会が、大阪市議会における共産党議員の議席を守り、議会制民主主義を擁護することを標榜し、その目的のために結集することを大衆によびかけた政治的集会であることが明白である。

集会の自由は、近代民主主義社会存立の基盤をなす最も重要な基本的人権の一として、人権保障の体系の中枢を占めるものであり、とくに政治的集会の自由を承認することにこそ民主政治実現の基礎があり、憲法二一条は言論・出版の自由と並んで広くこれを保障している。

ところで、集会の自由は基本的人権として最大限に尊重されなければならないとはいつても、それはいかなる場所いかなる方法であるとを問わず無制限に行使できるものではない。集会が公の営造物その他の施設を使用して行なわれる場合には、その施設の設置目的、一般公共の使用関係、集会の規模等との関連において、その施設の管理主体の設定する利用条件に従つて、はじめて施設の使用が可能なのであり、集会の自由のゆえに当然に施設利用の利益を享受できるわけでないことはいうまでもない。したがつて集会のための施設の使用を拒否された場合には、直接にはそれが使用拒否の要件に適合するかどうかが問題となるのであり、その判断とのかかわりにおいて集会の自由が論じられることになる。

2 公会堂は地方自治法二四四条にいう「公の施設」であるから、同条二項により、被告は正当な理由がないかぎり住民がこれを利用することを拒みえない。被告が同法二四四条の二第一項にもとづき公会堂の管理について定めた公会堂条例によれば、公会堂の施設を使用しようとする者は教育委員会の許可を受けなければならないこと(二条本文)、使用の許可を受けた場合において、(1)公安又は風俗を害するおそれがあるとき、(2)建物又は付属物を破損するおそれがあるとき、(3)管理上支障があるとき、(4)その他教育委員会が必要と認めるときは、使用許可を取消しうること(四条二号、二条但書)が規定されている(成立に争いのない甲第二号証の八)。

被告のした本件使用許可取消は、原告委員会の集会が部落解放、同和教育に否定的影響を与えることを主たる理由としてなされたものであることは、前認定のとおりであり、被告はこの取消の条例上の根拠としては、右(4)の「その他教育委員会が必要と認めるとき」にいたると解している。

3 昭和三六年一二月七日、内閣総理大臣は同和対策審議会(以下同対審と略称する)に「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」を諮問し、同対審は慎重な審議を重ねて、昭和四〇年八月一一日答申をした(成立に争いのない乙第一号証の一)。右答申は、冒頭に「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もつとも深刻にして重大な社会問題である。」と把え、その差別の発現形態を心理的差別と実態的差別に分析し、市民的権利、自由の侵害、すなわち職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などが同和地区住民に対して完全に保障されていないことが差別であることを指摘し、同和対策の具体案としてて、環境改善、社会福祉、産業・職業、教育問題、人権問題に関する対策を提言している。

またその後、大阪市長は昭和四三年二月二九日大阪市同和対策審議会に「本市同和地区の長期計画樹立のための基本的構想」を諮問し、同審議会は同年一〇月一七日これについての答申を行ない、行財政体制、生活環境、福祉、経済生活、教育の五部門にわたつて、長期計画策定にあたり考慮すべき事項を提案した(成立に争いのない乙第二号証の一)。

市教委は、被告の教育に関する事務を担当する機関として、これらの答申および昭和四四年七月一〇日公布施行された同和対策事業特別措置法に則り、学校教育、社会教育の両面にわたつて同和教育を積極的に推進してきている(成立に争いのない乙第二号証の三ないし六参照)。

4 同和問題の早急な解決は、同対審の答申をまつまでもなく、国および地方公共団体の重大な責務であり国民的課題である。被告が同和対策について行政全般にわたる長期計画の樹立をはかり、これを推進してきた実績は、それなりに評価されてよい。しかしながら、右に述べた同対審の答申を基調とするとはいつても、これにもとづき部落解放を実現する理論ないしその方法は唯一無二ではありえないし、他の批判を許さないものでもない。解同による部落解放運動あるいは行政当局によるこれまでの同和行政の成果に対しても、その評価は必ずしも一様ではなく、とくにこの点について解同と共産党との間に対立が見られることは顕著な事実である。

本件は、Aの挨拶状の差別性をめぐる認識のちがいに端を発し、事件の展開する過程で示された解同府連の糾弾闘争を中心とする解放運動の進め方ならびにこれに同調する市教委の同和教育のあり方に対して、原告委員会が鋭く批判を加え、解同と原告委員会との対立が抜きさしならぬものとなつてきたことが、その背景をなしている。そしてさきに認定した解同による要請書提出以後の事態の推移から、原告委員会が共産党市議団の議席の存亡に重大な危惧の念を抱いたことは、当時の情勢下では、解同がいわゆる「八尾方式」でいくよう迫つたという事実の真否はさておくとしても、)理由のないことではなく、原告委員会が集会をもつてこの危機を広く大衆に訴え、議会制民主主義擁護を掲げて対抗しようとしたことは、政党として当然の政治活動である。挨拶状の差別性については、それが一見きわめて明白とはいいがたく、議論の余地のありうるところであつて、原告委員会がその差別性を認めないことを不当だとは一概にきめつけられないし、また原告委員会が集会への参加をよびかけた機関紙等の論調の中に解同の横暴を批判攻撃する部分があつても、それが全く事実無根の中傷にすぎないとの確証がない以上、政治的集会としての正当性を否定することはできず、右集会が部落解放運動を阻害するというのは一面的な見方でしかない。集会の自由は公会堂管理権の運用上最大限に尊重されるべきであり、軽々に集会の内容の当不当を論じて許否を左右することがあつてはならない。批判の自由のないところに民主政治は成り立ちえない。部落解放運動は一切の批判を封殺して推し進められるべきではなく、むしろあらゆる批判に耐えうるものであつてはじめてそれが真に市民に理解され、世論に支持されうるものとなることに思いを至すべきである。

5  被告はなお付随的に、本件集会が開かれた場合におこりうる不測の事態を考慮したとも主張するが、証拠によると、当時市教委は会場における衝突、混乱などの事態の発生について漠然とした危惧を抱いていたことは窺われるものの、それが何らかの具体的事実を踏まえた根拠のある危惧であつたとは、とうてい認められない。

6 してみると、市教委において原告委員会の本件集会の内容が部落解放に支障を来たすおそれがあると認めて、公会堂条例四条二項、二条但書により公会堂使用許可を取消したことは、条例の適用をあやまり、地方自治法二四四条二項にいう正当な理由なくして公の施設の利用を拒んだものであつて、違法な処分であつたといわなければならない。

四被告の責任

さきに認定した事実によれば、市教委の委員は、公会堂の使用許可を取消すについて何ら合理的理由がないことを知りつつ、故意に原告委員会の集会を妨害抑圧する意図で本件処分をしたとはいえないけれども、公会堂の管理運営を所管する公務員として当然に要求される判断をあやまり、違法な処分に及んだ点において、少なくとも過失があつたものといわざるをえない。

よつて被告は国家賠償法一条一項にもとづき、市教委の職務上の右違法行為により与えた損害を賠償する責任があることになる。

五損害

1  原告委員会について

(一)  〈証拠〉によれば、原告植田は七月二〇日公会堂使用許可取消の通知を受け、直ちに原告委員会の関係者を集めて善後策を協議し、弁護士宇賀神直、小林保夫、東垣内清、橋本敦、田中庸雄らに抗告訴訟の提起とこれに伴う執行停止の申立を委任することとなり、同弁護士らは同日大阪市北区の梅ケ枝旅館に泊りこんでこの作業にあたり、翌二一日には訴状および執行停止申立書の提出にはじまつて、地裁の執行停止決定、市教委の即時抗告、高裁の抗告棄却決定に至るまで、終日これに応接することを余儀なくされたのであり、原告委員会は同弁護士らの右活動に対して弁護士費用一五万円、旅館代五万円、計二〇万円を支出したことが認められ、本件の事案よりして、これは被告の不法行為と相当因果関係ある損害ということができる(訴訟提起および執行停止申立は原告植田の名においてなされているが、これは使用許可取消が責任者である原告植田宛であつたからであり、主催団体である原告委員会が弁護士費用等を支出したのは当然で、これを原告委員会の損害とみることに何ら妨げとはならない)。

(二)  原告植田本人尋問の結果によれば、原告委員会は七月二一日下部組織である各地区委員会や集会に参加を要請していた団体等およそ六〇個所に、電話をもつて使用許可取消とこれに対する対策を連絡したことが認められ、この電話代四二〇円も被告の賠償すべき損害である。

(三)  原告植田本人尋問の結果によれば、原告委員会は本件取消処分後急拠ビラ一一万枚を印刷し、七月二一日朝各駅頭などで配布したが、これは公会堂の使用許可取消にふれてその不当を訴えるとか、会場変更を予告するというような内容ではなく、単に集会の基本方針に関する声明文を盛り込んだものであつたというのである(このビラ自体は証拠として提出されていない)。

そうだとすると、右ビラの印刷配布は本件取消処分と直接には結びつかず、その間に因果関係があるとは認められないから、これの費用は被告の賠償すべき損害とはならない。

2  原告植田について

原告植田本人尋問の結果によると、原告植田は原告委員会の選挙対策部副部長としての職責にもとづき、本件集会開催の責任者として公会堂の使用を申込み、集会の成功に心を砕いていたところ、集会の前日になつて使用許可取消の通知に接して大きな打撃を受け、対応策のため奔走することを余儀なくされ、幸いに執行停止決定により集会は無事開催することができたが、そこに至るまでの精神的労苦は大きかつたことが認められる。

そこで本件にあらわれた諸般の事情を考慮して、原告植田の右精神的損害に対する慰藉料は金五〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

六結論

よつて、原告らの本訴請求は、原告委員会につき金二〇〇、四二〇円、原告植田につき金五〇、〇〇〇円、および右各員に対する昭和四四年九月一〇日から完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書を適用し、なお仮執行宣言は相当でないと認め、これを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(下出義明 藤井正雄 石井彦壽)

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